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ちゃんとしなきゃと思うほど、息が抜けない
家事も、仕事も, 人との付き合いも、常に「ちゃんとしなければ」と気を張って生きていませんか。周りに迷惑をかけないように、だらしないと思われないようにと自分を律し続けていると、せっかくの休日であっても心は休まらないものです。
私も以前、待ちに待った休みの日に、ずっと観たかった映画を自宅で再生したことがあります。それなのに、画面を見つめながらも頭の片隅では「溜まっている洗濯物を片付けなければ」「来週の仕事の準備をしておいたほうがいいのではないか」といった思考がぐるぐると駆け巡り、結局ソワソワした焦りに耐えかねて、途中で映画を止めて掃除や片付けを始めてしまったことがありました。休むことそのものに罪悪感を抱いてしまう時間は、本当に息苦しいですよね。
いつもきちんとしていようとする姿勢はとても素晴らしいことですが、それが行き過ぎて自分自身を縛りつけてしまうのは本当につらいことです。
苦しいのは、ちゃんとすること自体より、基準が厳しすぎるから
ちゃんとしていたい、誠実でありたいという気持ちは、あなたの責任感や優しさの表れです。
しかし、その「ちゃんと」の基準が、常に「100点満点の完璧な状態」になってしまっていると、人は途端に苦しくなります。少しでも予定通りにいかなかったり、ささいな抜け漏れがあったりしただけで、まるで自分が大失敗をしてしまったかのように激しく自分を責め立ててしまうのですね。
完璧を目指しすぎるあまり、自分で自分に課した厳格なルールによって心が締め付けられ、日々の暮らしが安らぎではなく、プレッシャーに満ちたタスクの連続になってしまいます。
「ちゃんと」の裏には、責められたくない気持ちが隠れていることがある
「ちゃんとしなきゃ」という思いが過剰に強くなってしまう背景には、実は単なる真面目さを超えて、「失敗したら周りから受け入れられなくなるのではないか」という不安や恐怖が隠れていることがあります。
朝起きたときから寝るまで、失敗したときに厳しく叱られた記憶や、期待に応えられないと自分の居場所がなくなるように感じた経験が、心の底に残っているのかもしれません。そのため、誰かから批判されたり、自分が否定されたりするのを防ぐための「防衛策」として、常に先回りして完璧に振る舞おうとしてしまうのです。
安心して日々を楽しむためではなく、誰かから責められないための予防線として頑張り続けているのですから、どれだけ作業を終えても心が本当に満たされることはないのですね。
必要なのは、ちゃんとをやめることではなく、緩めることです
この苦しさから解放されるために必要なのは、これまでのやり方をすべて投げ出して無責任になることではなく、張り詰めすぎた基準を「少しだけ緩める」ことです。
ここで、私たちの心の緊張を「弦楽器のチューニング」に例えてみましょう。美しい音色を響かせるためには、楽器の弦を適切に張る必要がありますが、もし「もっとちゃんとした音を出さなければ」とネジを限界まで回して弦をピンと張り詰めすぎてしまえば、いざ演奏しようとした瞬間に、弦はぷつりと切れてしまいます。楽器にとっても、少しのあそびや緩みがあるからこそ、豊かで心地よい響きが生まれるのです。
私たちの心も同様で、少しの「まあ、いいか」という緩みがある方が、壊れることなく長く健やかに進み続けることができます。
「ちゃんとしなきゃ」の先にある、本当の願いを見つける
自分を追い込んでしまう前に、その強い義務感の奥にある「本当はただ安心して認められたい」「穏やかにつながっていたい」という健気な願いを、まずは自分で受け止めてあげましょう。
もし今日、「あれもこれもちゃんとしなきゃ」と頭の中がいっぱいになって疲れてしまったら、書き出したタスクリストや予定の中から、「今日やらなくても、家が崩壊したり誰かに大きな実害が出たりしないこと」を一つだけ見つけてみてください。そして、あえてその項目に「今日はやらない!」と自分の意志で二本線を引いて消去してみるのです。
完璧にすべてをこなさなくても、あなたの価値は一ミリも変わりませんし、少しの抜けがあっても世界は優しく回っていきます。「今日は70点でも十分素晴らしい」と自分に小さな許可を出す練習を、あなたのペースで始めてみるのも良い方法だと思いますよ。