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うれしいことがあっても、どこかでブレーキがかかる
自分にとってとても嬉しい出来事があったり、穏やかで満たされた時間を過ごしていたりするのに、なぜかそれを素直に喜びきれず、心の中でブレーキがかかってしまうことはありませんか。例えば、天気の良い休日に、お気に入りのカフェで美味しいカフェラテを飲みながらのんびりとしているまさにその瞬間に、ふと「世界には今も苦しんでいる人がいるのに、私だけこんなにのんびりしていていいのだろうか」と、胸の奥がキュッと痛くなってしまうような、そんな瞬間です。
ありがたい状況に包まれているはずなのに、そこに罪悪感が混ざり込んでしまい、まるで自分が悪いことをしているかのような申し訳なさを感じてしまうのは、心がどこか休まらないつらい状態です。
背景には、「私だけ良い思いをしてはいけない」という思い込みがあることもあります
自分だけが幸せになることに申し訳なさを感じてしまうあなたは、それだけ他人の心の痛みや世界の苦しみに寄り添える、とても優しく知性あふれる人です。
しかし、その素晴らしい優しさが、「私は常に幸せを遠慮しなければならない」という厳しいマイルールに化けてしまっていることがあります。それはまるで、「周りのみんなが空腹なのだから、自分だけ温かいスープを飲むのは悪いことだ」と思い込んで、自分の前にあるスープをあえて冷まして放置しているような状態です。でも、あなたがスープを美味しく飲むことは、決して誰かのスープを奪うことではありません。あなたが幸せを受け取らないからといって、誰かの苦しみが減るわけでもないのです。
喜べないままでいると、自分の人生まで小さくしてしまう
せっかく訪れた良い出来事や安心できる瞬間を、罪悪感で薄めて味わうことを続けていると、あなたの無意識は「幸せを望むこと自体が悪いことだ」と判断し始めます。
すると、望むこと自体を諦めてしまい、自ら進んで控えめで我慢が当たり前の状況を選択するようになってしまいます。「これ以上の幸せを望んでは贅沢だ」「もっと良い思いをしてはならない」と、人生のサイズを自分で小さく見積もり、制限をかけてしまうようになるのです。自分の望みや幸せの可能性をシャットアウトしてしまうことは、人生の手触りをとても寂しいものにしてしまいます。
誰かを思うことと、自分の幸せを受け取ることは両立できます
世界で起きている困難な状況に心を寄せ、身近な誰かのために力になりたいと願うことと、あなた自身の前に差し出されたささやかな幸せを受け取り、喜ぶことは完全に両立できます。
むしろ、あなた自身の心がしっかりと満たされ、安心感のスープで体が温まっているときの方が、周囲の人々に対しても本当の意味で寛大で、優しい手を差し伸べることができるものです。自分を飢えさせたまま誰かを助けようとすることは、いつか共倒れになってしまう危険性も含んでいます。
幸せを受け取ることにも練習がいります
もしこれまで、長年にわたって幸せを受け取ることにブレーキをかけて遠慮し続けてきたのだとしたら、素直に喜ぶためにもちょっとした日々の「練習」が必要です。
日常のなかで何か嬉しいことや安心できる瞬間が訪れたとき、それを「申し訳ない」と打ち消す前に、胸の内でそっと「ありがとう、いただきます」と小さく呟いてみる。そうして、その喜びを自分の心の中にしっかりと着地させてあげるのです。自分の幸せの受け取り口の蛇口をどれくらい開き、どれほど十分に浸るかについては、あなたが自由に決めていいのですよ。これまで周囲にたくさん遠慮してきたぶん、これからは少しずつ、あなたの人生のテーブルに、あなた自身の幸せの席を用意してあげてくださいね。