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悲しいはずなのに、なぜか涙が流れてこない寂しさ
身近で本当に悲しい出来事があったときや、誰の目から見てもつらい状況に置かれているはずなのに、なぜか涙が一滴も流れてこないということはありませんか。
周囲の人たちが涙を流し、感情を素直に表現している姿を見るたびに、「自分の心はどこか冷めていて、おかしいのではないか」と、冷酷な自分を責めるような気持ちになってしまう。まるで、自分の心だけが頑丈で分厚いガラスのドームの中に閉じ込められていて、外の出来事から遮断されているように感じてしまいます。
何も感じていないわけではないのに、感情が胸の奥のどこかで固まってしまい、外に出てこないというのは、言葉にできない寂しさや苦しさがあるものですね。
凍りついてしまった水道管のように、心も固まっている
つらいのに涙が出ないのは、あなたの心が冷たいからでは決してありません。むしろ、これまでに何度も限界を超えるほどのつらさや困難を前にして、「泣いている場合ではない」「自分がしっかりしなければ崩れてしまう」と、感情を必死に押し殺して耐え抜いてきた証拠です。
それはまるで、冬の厳しい寒さのなかでガチガチに凍りついてしまい、蛇口をどれほど強くひねっても水が流れてこない水道管のような状態です。
これ以上傷つかないように、そして今の生活を壊さないようにするために、あなたの心は「感情を感じる機能」を一時的にストップさせて、自分を守ろうとしてきたのかもしれません。泣けないことは異常ではなく、あなたが生き抜くために必要だった防衛反応なのです。
凍った氷をハンマーで砕こうとせず、温かい熱で溶かすように
ですから、無理に泣こうと自分を追い詰めたり、泣けない自分を責めたりしないでください。凍りついた水道管をハンマーで叩いても壊れてしまうだけであるように、凍った感情も「泣かなければ」という義務感で無理やりこじ開けられるものではありません。
感情は、あなたの心が「ここは安全だ」「もう張り詰めていなくても大丈夫だ」と本当に安心できたときに、自然と溶け出して流れるようになります。
まずは、感情を外に出すことよりも、これまで長い間「泣くことも許されないほど張り詰めて生きてきた自分」の硬さに気づき、そっと認めてあげることから始めてみませんか。
感情ではなく「体のこわばり」に意識を向けるステップ
凍りついた心をほぐすためのステップとして、まずは「涙」という感情の表現を目標にするのをやめ、自分の「体の感覚」をただ観察することから始めてみるのはいかがでしょうか。
一日の終わりに、お風呂に入って湯船に浸かっているときや、ベッドに横たわっているときに、そっと目を閉じて体全体に意識を向けてみます。そして、「今、肩や首のあたりがすごく張っているな」「胸の奥が少し重たくて、呼吸が浅くなっているな」と、こわばっている場所を見つけて、ただ「そこにこわばりがある」という事実を感じてみます。
そして、そのこわばっている部分に向けて、温かい空気を送り込むようなイメージで、ゆっくりと深く息を吐き出していきます。
「悲しい」「つらい」という言葉に名前をつけるのが難しくても、体が少しずつ緩んでいけば、そこから心も自然とやわらかさを取り戻していきます。あなたのペースで、少しずつ心を温めていってください。