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もう終わったはずなのに、心の中で何度も上映されるあの場面
夜、温かい布団に入ってほっと息をついた瞬間や、日中のふとした静かな時間に、何年も前の仕事でのミスや、友人への余計な一言が頭に浮かんできて、胸がぎゅっと苦しくなることはありませんか。
あのとき、もっと別の言い方をしていればよかった、どうしてあんな行動をとってしまったのだろうと、後悔の波が押し寄せてきて、まるで今その場にいるかのように恥ずかしさや痛みがよみがえってきます。
もう終わった過去のことだと頭ではよくわかっているのに、心だけが何度もその場に引き戻されてしまうのは、本当に苦しいものですね。何度も思い出しては落ち込んでしまう自分に対して、いつまでも前を向けないとしつこさを感じたり、自分を責めてしまったりすることもあるかもしれません。
心が何度も再生ボタンを押すのは、自分を守るための防衛反応
なぜ心は、終わったはずの出来事を何度も思い出しようとするのでしょうか。それは、決してあなたを苦しめたいからではなく、むしろ「もう二度と同じ痛みを味わいたくない」「今度こそ自分を安全に守りたい」という健気な思いが働いているからです。
まるで壊れたテープレコーダーが同じ場所で何度も同じ音を繰り返し再生してしまうように、あるいは治りかけの傷口を「本当に治っているかな」と気になって何度も絆創膏を剥がして確認してしまうように、心は出来事を点検することで、これからの安全を確認しようとしています。
しかし、その安全点検が行きすぎてしまうと、状況を客観的に振り返ることを超えて、自分を攻撃する「自分いじめ」のようになってしまい、傷口をさらに広げてしまう結果になります。
本当に痛むのは、出来事そのものよりも「その後の自分への攻撃」
過去の失敗を思い出したとき、多くの場合は「あのときの私は本当にダメだった」「なんて愚かなのだろう」と、現在の自分が過去の自分を厳しく裁き直してしまいます。
実は、本当にあなたの心を傷つけているのは、すでに過ぎ去った出来事そのものというよりも、その出来事を使って自分を攻撃し続けている、現在のあなたの言葉なのかもしれません。
前を向くための反省は大切ですが、ただ自分を責めるためだけに思い出しているのだとしたら、心は休まる暇がなくなってしまいます。
責め直すのではなく、あのときの自分が抱えていた背景を理解する
もしまた過去の出来事が頭をよぎったら、その自分を厳しく責める代わりに、「あのときの私は、一体何を抱えていたのだろう」と、その背景にやさしい目を向けてみませんか。
もしかしたら、当時は他に選択肢がないほど余裕がなかったのかもしれません。とても怖くて自分を守るのに必死だったり、単にやり方を知らなかっただけかもしれません。
その背景にある事情が理解できるようになると、単なる「失敗したダメな自分」ではなく、「あの状況の中で、不器用ながらも一生懸命に生きようとしていた自分」の姿が見えてくるようになります。
過去に引き戻されそうになったら、今ここの感覚へ意識を戻してあげる
昔の記憶が再生され始めたことに気づいたら、まずは心の中で「あ、今またテープが回り始めたな」と、そっとつぶやいてみてください。感情を無理やり消そうとするのではないため、ただ再生が始まったことに気づくだけで大丈夫です。
そして、ゆっくりと深呼吸をしながら、いま自分の足の裏がしっかりと床に触れている感覚や、座っている椅子の感触、あるいは布団のあたたかさなど、「今、ここにある確かな感覚」に意識を向けてみましょう。
出来事はすでに過去のものであり、今のあなたは安全な場所にいて、あの頃よりも少し多くのことを学んでいます。思い出してしまうこと自体を責める必要はありません。
それだけ心に深い傷が残っていたのだなと、その痛みを認めていたわってあげること。そのやさしい関わり方を少しずつ重ねていくことで、心の中で繰り返される反すうは自然と静まり、過去は今を縛る鎖から、今を豊かに生きるための大切な経験へと変わっていくはずです。